自分についての気づき。

「分散登園についての連絡ですが、~ちゃんは金曜日になります。6月からのグループも火、金になります。」

今、幼稚園の担任の先生から来週からの緊急事態宣言解除後、初めての登園日について、それ以降の登園日についての連絡であった。

先生方も大変な思いをされてコロナによる緊急事態宣言で休園中、対応されてきたとは思う。十分頑張ってやってくださって来たと思う。しかし、私は個人的な感情(苦手な先生)によって、新学期が始まってから素直に感謝できなくなっていた。十分やってくださったという思いになったのは大きな進歩である。今でも少し無理して思うようにしているが、これさえも最近までできなかった。

話はもどり、先生たちの大変な思いでやってきている表れが今日の電話に表れていた。登園日の変更をお願いすると嫌そうであった。

 

気にしなくても大丈夫なところではあるが、話の途中から、私の心はそわそわし始め心の器に余裕がなくなっていった。電話を切った後も器にどんどん何かがたまっていき、器に余裕がなくなってきていることに気付く。

一番下の子にやってほしいことをお願いされて、「待って!」と強く言っている自分に気付きこれは、一回気持ちを整理する時間が必要と感じ、今にいたる。

 

絵本で「しんぱいしんぱい、ウェンベリー」という本がある。

その本は、ウェンベリーというネズミの女の子の話である。その子は、何かにつけて心配になり、大したことないことも心配に感じてしまう。

私に似ている所がある。

 

ウェンベリーも私も心配の思い込みの勘違い。冷静に考えれば、起こる可能性の低いことまで、起こる確率が高い出来事に変わってしまう。

人とのかかわりの出来事もそう。今回の幼稚園の先生のこともそう。私に嫌な思いをさせてやろうと思い、嫌な対応を取ったのではないかもしれない。もしかしたら、担任の先生も私と似たところがあり、急な変更に弱く「げー」と思い嫌な気持ちになったとか、テンパっているとかなのかもしれない。

 

とにかく、私によることではないので、気にすることない。

でも、今年度、苦手な先生が主任になり、苦手な先生が戻ってきて、嫌な気持ちであった。

この気持ちについても、もっとシンプルにさせる必要がありそうだ。

 

この二人は性格が似ている。強気で自信ありそうに人前でふるまっている。実際にはそのように見せているのかもしれない。実は彼女たちも自信がないから、強く見せ自分を守っているのかもしれない。実はガラスのハートなのかもしれない。一見固いガラスも衝撃で割れてしまい、元に戻るのは大変だ。(私の目標は嵐に対してはズシっと立っていながらも、しなやかにさせて被害を最小限にする、温かで穏やかの時は静かに穏やかにたっていられるハートになる)

そのような彼女たちの態度が、私には威圧的に感じ、嫌な気持ちにさせる。これも、今までこの二人と接してきた歴史がそうさせている。しかたがない。結局、これは、兄嫁の関係に似ているところがある。

私は、相手にあって、自分にないものを見てしまい、自信を持てずにいる。私にしかない、相手にはない良い長所もあるのに。それを見ないで、自分の短所に目が行ってしまう。逆をいえば、相手の長所を見つけれる名人でもある。

その力を自分の長所探しに役立てれたらいいのにな。

そして、「私はわたしでいい、ほかの誰かになる必要もない。この長所、短所のままの私でいい。」と思い生きる。

 

もしかしたら、私にはそう見えているこの人たちも、私の長所をみて感じていることもあるのかもしれない。

 

この感情もしかたがないか。私の長所のおかげで、相手の長所をみつけ、私の短所のせいで不快な感情を抱いている。長所も短所も私だから、仕方がないか。

そう思ってもいいけど、相手に不快な感情をぶつけることは、また別の話だ。

このコロナ中、私はそういうことをしてしまった瞬間があった。反省。会話を極力しないようにしていた。

 

最低限、自分が納得できる態度をしていこうと思う。

これも、余裕があるときでいい!!!!

人生、やった方がいいけど、生きること以外やらなければいけないことは何一つないのだから。

このスタンスでOKだよ。

 

落ち着いてきた。

よし、次女のところへもどり、家事をしよう!!!