主人、家族を支えられる人になる!
ここ最近、不安定な日々だった。
昨日の夕方から回復傾向。
たまたまなのか分からないが、昨日の気持ちの整理の終わり方を素敵な気づきで終えたからなのかな?
そして昨日は主人の腰痛も改善傾向でよかった。
主人にはいつも支えられてばかり。
私も支えられる存在になっていく。
仕事の事も気になっていたが、私は一人のパートで社員でもなんでもない。
出しゃばりすぎてすぎていたのかも。
言われたことをやり仕事をこなしていけばいいのかも。
それで私が居場所と感じられず、受け入れてもらえない時は私がその職場を去る時だ。
それでいい。私は、仕事の中で大切にしていることは、私が受け持っている子供達だけは「ぼく、わたしはここにいていい。ぼく、私の一つの居場所と感じて、自分を受け止めてくれている人がここにもいる」と感じてもらえる場所作りを心掛けている。英語の塾で英語を学びに来ているのはもちろんであるが、人格を育てていくのもその子達にとって大切な事と思う。「これって世の中が便利になるかな。」や「こんな事を家族や知り合いが困っていたから、こんなことをしてあげたらどうかな」というような気持ちも育てていけたら、子供たちが勉強してきたことが困っていることの解決の方法へと役立っていくのかなと思う。
そのために、自分の子供達にはもちろん、自分が深く関わりやすい子たちを苦手な部分があっていい、それも含めて自分なんだと思える関りをして、大切にしてあげたいなと思う。そうすることによって、いつか子供たちが私を含めて大切に思える人ができて、その人を悲しませることはやめようと思ってくれると、ソクラテスが言うように「善く生きる」にも繋がるのかなと思う。
良いことがあった日、残念と悩む日、色々な日々があるが、やはり、良いことも悪いことも何もない日常、そんな日がありがたいことに気づいた。
そう思うと、幸せになりたいというより、何気ない日々を過ごせる日に気づき、それに感謝して生きていこうと思った。
すごく大切な気づきだなって感じている。
色々な会に声をかけてくださる方に感謝だが、自分の能力には過信せず、知らないことについ好奇心がでてしまうが、自分の状況が落ち着いているか、心身の状況はどうか、興味のある内容かについて総合的に考えて行動しよう。
常に思い出すこと、良いことも悪いと感じる事もない、何気ない日々が穏やかでありがたいことを思い出そう!
話はそれたが、感謝を忘れない。思い返して日記は終わる。
まずは、主人に感謝!昨日は1日バタバタで夕ご飯が結局まともに作れなかった。そんな時、主人の母が夕ご飯を作ってくれていた。感謝。
子供たち、主人、家族が心身ともに健康で生活できていることに感謝。
よし家事にもどろう!
今、家族の亀ちゃんの水替えをサイフォンの原理でやっているが、今まで大変な感じで水替えをしていた。今は夏で水が汚れやすいので、冬に比べ水替え頻度が増えた。なんとか、完全にきれいにする頻度を減らせないかと主人と長男が考えている。そのため、主人が細いチューブを職場からもらってきたので、わたしは、それを使って試しにやり始めた。が、チューブがかなり細く排水に時間がかかっている。が、逆に考えれば、一晩中それをして、次の日新しい水を加えてを繰り返していくと以前に比べたら水の流れがたしょうできるのかな?とりあえず、継続して観察してこうと思う。
家事に戻る前に。。。
いつも肯定的に受け入れてくれてありがとう。
主人に感謝です。
主人、子供たち、家族の支えにもっとなっていく。
辛い日々
最近、不安定になりやすい。
どの日からかと考えると。たぶん、役場の偉い人達との話の会の前日くらいからかな、そして、その日を迎え充実した時間は過ごせ、貴重な体験をさせていただけたと思い、感謝しているものの、、、
その後から、疲れがどっと出て不安定になっている。
やはり、今は自分の生活を最優先し、そういった前に出るような会は控えた方がいいのかもしれない。
しかし、今日の昼も先日の会を誘っていた方と学校で出会った。
先日のことの感想を伝えると、今度は町長選のなんかしらない会にでてほしいという誘いがあった。
今回ばかりは断ろうかな。。。
最近は繊細さにより辛くなっている。いまはただ、そういう気持ちなんだと思う。
自分がそういう風に捉えているだけで実際は違うのかもしれない。
自分の考えていることは、実際は起きていない可能性が高い。
出来事自体に意味はなく、それに対するとらえ方は今や最近の自分の気分に影響する気がする。
レディースデイ、日々の子供たちに対してのリアクション(うれしいリアクションに対しても、辛いリアクションに対しても)、生活により余裕がないのも事実。でも、今は踏ん張りどころ。
お隣さんや兄嫁は自分の両親に精神的にも時には手伝いも助けがあるが、私にはない。
でも、きっと大丈夫。そう信じたい。神様、ご先祖様、自然の力たち、どうか力をかしてください。。。
今日の素敵な気付き。
長男が朝から科学の本を引っ張り出してきた。きっと、学校に行ってないから、テレビは見てダメかなと長男なりに考えた結果による行動だと思う。
そして、「このモーター作ってみたいんやけど」と長男。
本を見ると、身近なものでできそう。
準備を手分けして行うと、釘がなかった。
まーネジとか似たようなもので代用。
代用なので3種類のものでやろうと二人で相談する。
その必要物品と結果をノートへ記録する。
実験開始。準備はできそうなことを長男へ頼み、できなさそうでも、見本を見せできそうなら頼んだ。
1回目失敗。
2回目、ネジの端にアルミホイルをつけて実施するとなんと成功。
「やったー!回った、回った」長男嬉しそう。
「こうした方が回りやすい」など考えながら色々試していた。
今日の午前中、二人で実験をして過ごしたことが素敵な時間だった。
あとは、主人との関係である。私が意地をはらずに素直になれたら、きっといいのに。。。今はなれない。なろうとすると泣けてきてしまう。
主人は仕事もあってか疲れているのでそれ以上は相手してもらうのは申し訳ないし体も大切にしてほしいから言えない。本当は助けてって言いたいけど。。。
とりあえず、この感情の波が落ち着くまで、そして、心身ともに体調が落ち着くまで、静かに過ごし被害を最小限にしていこう。
取り乱すのは、今の心身の状態によるもの。仕方ないと気付こう!!!
静かに過ごし、たくさんの人とと関わることも控え、人と話す数も減らし被害を最小限にしよう。
必ず回復する日が来るから!!!!大丈夫!!!!
よし家事に戻るために長男のもとへいこう。
逃げ出した日。
最近疲れている。心身共にだ。
「もう誰もいないところに逃げてしまいたいな」と感じるが、情けないができない。
子供のことも気になるし、仕事もだ。
自分にも自信がない。
今はこういう時期なんだと思う。
でも、この間、「教育と育児について」教育長さんをはじめ、役場の偉い方と9人の町内の小中学校に子供を持つ親との会に参加をさせていただいた。
その時感じたことは、自分は同年代の親より「生き方」についてよく考えている方で割と自分や子供たちについて、学校について考えている方と感じた。
役場の偉い方の中で私と一部共感して見えたのは、教育長だ。それは生き方のところと、子供たちに対する支援についてだった。
共感してもらえうれしかった。
次に今日についてだ。
今日は姪の誕生日のお祝いに主人の母から誘われていた。
プレゼントは姪にとって意味のあるものを一生懸命選んだ。今は分からなくても、もう少し大きくなったら色々なことをまなべるであろう内容の本にした。
でも、私は初めて親戚同士の付き合いの会から逃げ出した。それも始まる前から。主人の母は長男嫁や家族に特別視する。そのストレスのはけ口にうちを使う。長男嫁は何も悪くないが、それをみていても何も言わないし、なんなら主人の母の肩を持つ発言をしたり、良い子をしている。優等生だ。
その環境を今までなんとかぐっと我慢して生きてきたが、今日はもう限界。主人のことを信頼していたり、味方と感じていたり、していたらその場所にもいれたかもしれないが、もう無理。限界。
もう、夫婦生活は終わっている。
でも、父親として良い父であると思う。
きっと私が弱い。でも、この自分で生きていくしかないなら、逃げるしかない。子供たちが大きくなるまでは、なんとかここで頑張るしかない。
子供たちが無事に心理的離乳し心身ともに健康に育つよう私の最大限できることをやっていこう!
求めすぎなのか?
自分が弱くて繊細だから?
でも、この自分で生きていくしかないのに、この環境も変わらないのにどうしていったらいいの?
将来は自分の趣味に合う人達と生きて行ったり、子育てで学んだことを生かした仕事をしていこうと思う。
余計な情報を見ない!自分が安定していられる情報を選択する。
今日は体が疲れてだるい。
昨日の学校の花壇の整備、花の苗を植えるボランティアによる疲れと日々の疲れ。
花壇については、終わった直後は気分の良い疲れであった。
午後からは、町の教育や子育てについて管理してみえる各課の偉い方と話す場所に参加させていただき、自分の意見を伝えることができ皆さんの意見も聞け有意義な時間をもてた。
しかし、ネットニュースを見てニュースのようなことが起きているんではないかと不安になり、主人との関係につなげている自分がいる。
主人はもともとモテたい気持ちが強い人で、チヤホヤされたい傾向にある。
私は、主人がほかの人と火遊びして楽しんでいるのか本気の恋なのか、卑猥なネットゲームでそういうことをやっている主人と関係を続けるほど余裕のある、寛大な心をもっていない。世の中にはそういう女性もいるのかもしれないが、私はそんなできた人でもないし、そんな価値観の人間じゃない。
でも、子供たちのためにいるのは必要。見ないようにするのか。不公平と感じてもみないように考えないようにするのが重要かもしれない。
今まで通り、子供たちの成長に対して、私が何を支援してあげれるかをフォーカスし生きていこう。
そして、将来の自分のための土台作りもしていこう。
自信がさがることもあるが、また回復すればいい。
大丈夫!!!
今日は吉の日であるが、朝からこう感じやすい日なのでもしネガティブに感じることがあっても、「疲れからそういう風に感じやすい日。朝からこういう傾向に感じやすい日」と気づいていこう。
あとは、この間も先生が言っていたように、出来事に対してネガティブなことと思い込んでいるだけ。出来事に意味はない。今に立ち返ろう。
よし、家事をして行動をかえよう!
大丈夫!!!!
なんでうちの子だけ。。。落ち込みやすい日。スモールステップで前を向いていく。
ここ数日、かわいくて、大切な子供たちに注意ばかりしてしまう日々。
落ち着いている時なら、たとえ気になったことがあっても
「成長はその子、その子で違うから待ってあげよう、きっといつかなんとかなるから。この子にはこういう良いところがあるから。」
と思えるのに、ここ数日は定型発達の子や何も文句を言わずに生活している子たちを見て、モヤモヤしてしまう。
「なんでうちの子だけ。。。過保護なのかな?」と考えてしまうが、
今まで色々な本や講演などで聞いてきた過保護は、必要のないことをあれこれ母が思いやっることであると。私がしている、子供自身が母に対して頼りお願いしていること(~買って以外)は母ができる限り援助してあげればいいと。それで甘えん坊になることはないらしい。
でも、私は不安になりやすい。だから、自信が下がりやすい。でも、このように心の整理をして、少しずつ回復していこう。なかなか、自信がある人のようになるのは、程遠いように感じる。。。
やはり、文章にして考え直すことは大切。
私は過保護ではない。
例えば、長女の登校について。
6月16日から、朝の登校をしていない。たまたまその日が境になっただけで、以前から長男と自分を比べて「にーにーだけ、なんで学校送ってもらってるの。いいなー。」など比べては、イライラしている様子で私にぶつけてきていた。
そして、6月16日、長女の気持ちはあふれ出してしまった。そして、次の日から主人による車での朝の送迎が始まる。
最近、長女の長男との比較について、まだまだあるが、学校に関しては落ち着いてきている。「にーにーのクラスと私のクラスは違って、クラスによって違うの」と少し違うことがあっても、完全に納得している表情ではないものの、このように言う様に変化している。気持ちの整理ができてきているという、前向きな成長していると考えたい。
そして、今週から火曜日、木曜日だけ私が学校の近くまで付き添い、朝の集団登校する目標を長女と決めて、今日が初日だった。長女が目標にしてもいいかもと気持ちの変化が起こったきかっけは、先週の私の旗当番の2日目に朝の集団登校を誘い、行けたことが目標としてもいいかもと思えるきかっけになったのかなと思う。
私が登校を後ろから見守り、さよならする場所を長女と朝ごはん中、相談する。お互いの主張する場所が同じでなく、なかなか決まらず、今日はとりあえず、二人の主張する場所の中間くらいに決まった。
今日は雨で、歩道が狭い中、傘をさして歩くとさらに狭く、ついて行くのもしんどい。私は、やはり、前回のさよならした場所でサヨナラすることを長女へ伝えるが、「お願い」と歩きながら不安な顔で返事されたため、本来の目標の場所までついて行った。これについて、私は過保護だったかな。。。と考えてしまった。
でも、今気持ちの整理で分かったことは、過保護ではない。長女自身不安を母に伝え、頼ってきている。不安が落ち着けば、行けるようになるため、その成長をまってあげればいい。
副班長さんのお姉さんが優しく、面倒見のいい子。ありがたい。もう少し成長するまで待っててもらえることを願う。。。
次は、木曜日。
ぼちぼちやっていこう。
次に長男。
これこそ、気を長く持たないとイライラ、落ち込むことにつながる。
すでに、そういう日々だ。
今日も自分を律して、長男を11時半に学校へ連れていく。
先週までが、給食の時間に間に合うよう、何時までに行くという目標は決めず過ごしてきた。2週間くらいはそういう生活だと思う。それもなんとか行けている状況ではあるが、1日も休まず続けてきた。金曜日は、私の仕事の関係で11時半に送って行っていた。
そろそろ、行く時間を決めるくらいは目標に増やしてもいいかなと感じ、11時半くらいに学校到着を長男に告げる。「わかった。」という。
長男にとって学校は「自信を失う場所」と。いつもそういう。
私は、長男へ給食は食べてきてほしい。理由1は、子供たちの栄養バランスを考えた献立を給食センターの方が一生懸命作ってくれている。もったいないし食べてきて。理由2、家族以外の人とご飯食べる練習をしてほしい。
長男の目標は、とりあえず、すんなり給食を食べる、次に配膳、下膳をすんなりできる。当面これを目標にしていこう!!!
不安の連鎖始まり
今朝は起床直後は悪くなかった。
最近、主人との関係がいまいち。子供たちは個性の強い子たちが3人。
平日は毎日長男の登校渋り付き合い、何とか毎日給食だけの時間に顔を出す。
長女、次女は疲れているので、ぐずり。長女のグズリは激しさはないが、長い。
次女は長い上に激しい。
今日も11時半くらいまではなんとか子供たちは穏やかに過ごせたし、過ごせるようサポートした。
しかし、11時半、お寺さんがお常飯に見えた。
そのため、お茶と茶菓子をだす。そこで、最初にぐずったのは長女。きっかけは、自分用のお盆を自分で準備した長女。それを次女に取られそうになった。そして、茶菓子をお参り前に食べたい気持ちを抑えきれない。もう爆発。グズグズグズグズ。私にだけ当たってくる。3人とも疲れている上お腹もすいていた。自己をコントロールすることがさらに難しい状況。
そのままお参り始まる。すると、今度は長男。お参りが始まって早々、「肉つまみたい。」という長男。
長男はASDがあるため、不安になったり疲れている状況など頑張らないといけない状況の時、その終わった後は私の二の腕をもみもみつまみ出す。嫌な時もあるが、よっぽどの時以外は我慢する。きっといつか卒業できると信じている。
しかし、いまはお参り中。私は長女にも後ろから当たられ、長男もべったりになってきたため、私の余裕はなかった。主人が長男へ注意しつねり始める。
すると、長男の私への執着はさらに強くなる。それを主人は理解していない。
お参り終わり、うえ二人が落ち着いたころ、次女が最後に激しく泣き暴力をし始める。
たえきれず、トイレへ私はこもる。次女は追いかけてきたが、カギを閉めたので入れず、激しく起こり、汚い言葉を発したり、ドアを壊れるんじゃないかというくらい蹴ってるのか、たたいているのか何かしている。
次女もASDがあり、激しい。長男より激しい。そのため、今は自分で感情のコントロールする練習をしている。
とりあえず、落ち着くのをまつ。
今日の私は、ホルモンのバランスや日々の疲れ、主人との関係、仕事、主人の家族との関係で心が疲れていた。その上、次女の汚い言葉に私を傷つける言葉で泣けてきた。
「なんでうちの子だけ。。。」
次女も私も存分に泣き、私も落ち着きを取り戻したため、次女と決めた落ち着く方法をする。
それは、10カウントだ。
「10数えるから、終わるまでに落ち着くよ、いい?いくよ。1、2、、、、9,10」
次女はなんとか落ち着こうとするが、まだ難しい。
「もう一度10数えるから、終わるまでに落ち着くよ。そうしたら、いつものように鼻をふいて、皆のところへ行こう。いい?123、、、9,10」
落ち着くことができた。トイレのカギを開けて、次女が入ってくる。鼻をふいて、落ち着いた状態でみんなのところへ行く。
今はもう3人で楽しく遊んでいる。
私はといえば、、、
ここで、この文章を書いているということは、落ち着き切れていないから。
不安の連鎖が始まりそうだったから、ここで心の整理をしている。
ちょっと落ち着いてきた。
未来に対する不安。
今までもなんとかなってきて、なんなら、自分がやりたいと思うことをやってきている。思い返すと、そうだ。
きっとなんとかなる。
今日は投げやりになり、お墓参りの日にちを決めるとき穏やかな気持ちできめれなかった。
仕方ない。
そんなときもあっていい、それがずっとではない。
大丈夫!!!
落ち着いた気がする。
よし、みんなのところへいこう。
今日の目標は「被害は最小限に。穏やかで落ち着いた状態で過ごそう。」
でも、穏やかに過ごせなくても大丈夫。今日は△の日だし仕方ないと気付こう!
発達障害と定型発達症候群
今日は朝からバタバタ。
旗当番。しかし、自分の子は一人も登校していないが、当番をしている。というのも、自分の子が登校できる日になったとき、すんなり入っていける手助けにならないかなとか、他の子のの登校を見守り安全に登校できるようサポートする、神様はきっと見てくれていると信じボランティアをやっている。
旗当番が終わり、家に帰れば自宅には長男と次女がいるはずだった。旗当番の帰り道、主人の母から連絡が入った。
「今、OO(長男の名前)きてるよ」主人母。
「えー」私。
「10分パソコン見たら帰るって言ってるから。」主人の母。
お願いをして電話を切る。
帰宅すると、鍵が開いており、次女が泣いていた。
「にーにー、外見てくるって言ったのに、いないんやて。OO(次女の名前)一人やったから寂しかった。外にも探しに行って「にーにー」って呼んでもいないし、家の中も「にーにー」って探しにいったけどいなかった。」
長男へ電話する。説明すると「うん。」としか言わず、伝わっているのか不明。
自分を守りたくて嘘ついているのはわかっているが、こんなことを何回もされては困る。長男へ今は期待しないのがベターなのか?
そうかもしれない。今、長男は小学2年生。まだ小学2年生。定型発達児とは違った独自の成長をとげている。
定型発達症候群という言葉を見つけた。詳しく時間がある時に調べてみたい。
定型発達症候群について、こんな説明があった。
「人類全体の98パーセントほどを占める定型発達者すなわち「定型発達症候群」は、自閉症者とは違って、社会的に独立するのが難しく、コミュニケーションの手段や創造性に乏しく、活動や興味の幅が狭いという特徴をもっているのだそうです」
これをみると、ASDやADHDは自信さえ失わないやいつでも自信を取り戻せれば、自分なりに生きていけるという希望を感じる一文だった。
今日はずしんと朝から落ち込んだ。私がもっとしっかりしていればや、学校の一部の先生のように「Yes」以外の選択肢を与えない誘導尋問、やらなければ攻めらるような状況をつくればよかったのかなど感じたが、そうでもないのかもと少し思えた。
どの子がその子らしく成長・発達していけるように支援していきたい。
やはり、これを周りに影響されずブレずにやっていく。
その子にとって良さそう思えたことは、やってみるが、だめならやめればいい!
そこに強いこだわりは持たず、やってみよう。
しかし、「星の王子様」に出てくる話、人や事物との絆を作るには時間がかかるし、絆というのは知るということ。傷つくのが怖くて繊細な私で続くけるのが苦手な私、安心したくて結果を急ぐ私だけど、少しずつ絆を作る時間を伸ばしていけたらと思う。
今日も1日がんばろう!